ルイボスティーが日本にきた時の苦労話
2019/01/25
スーパールイボスティーが日本に来た時は、大変だったんです。
こんにちは、大崎です。
先ほどルイボスティーの輸入元様との次の原料仕入れの打ち合わせをしていました。
ルイボスを始めて日本に持ってきた九條社長の苦労話になって・・・今から36年前のお話。
初めてスーパールイボスティーを日本に輸入した1981年、400トンもの原料をあずけた倉庫ですべてその原料がだめにされたことがあったそうです。
なんと被害総額10億円とか・・・・・
その頃のルイボスの保管は、とても難しかった。なんせ 初めて輸入したわけですから、日本の湿度や虫の問題などを安易に考えていた保管側の問題もありすべて使えなくなってしまったそうなんです。
輸入した頃の九條社長の苦労は、半端なかったとききました。
今でこそ、ルイボスは、あたりまえのように売られていますが、他のメーカーのルイボスでも虫がわいた話があちこちで出始めて 一時 新聞ではルイボスが大々的に取り上げられていてブームになりかけていた矢先に あっという間にブームが去っていたそうです。
それまでは、日立造船様が杜仲茶を販売しかけていてブームになっていたもののあんまり健康増進につながらなかっただけにスーパールイボスティーの研究結果は目を見張るものがあったんですよ。
活性酸素と病気の関係を初めて日本で知らせたのは、おそらく九條社長だといっても過言ではありません。同時に日本にルイボスティーを拡めた第一人者でした。
強力な抗酸化力・・こだわりのスーパーグレードだから結果が出るのです。だから、有名な化粧品メーカーや食品メーカーから大量の発注が来すぎて困るほどでした。
そばやスパゲティー、パンなどの食材にいれると防腐剤代わりに使うからです。
私自身もパンを焼くときに入れたら1ヶ月もパンが腐らなかったんです。さすがに1ヶ月腐らないといっても気持ち悪くて食べられませんでした。(笑)
そんなお茶を毎日飲んでいたら体は健康になるのが 明らかですね。
人間の体も腐る(=老化)のですから・・・。
九條社長のルイボスの発見は、日本中の新聞をにぎわしたんですよ。今のそのときの写真が残っています。
医師ですら、活性酸素のことを知らない時代でした。先日亡くなった松方弘樹さんや梅宮辰夫さんとも大の親友だったそうで 私が日本ルイボスティー本社を訪ねた頃、肩をくんだ楽しそうな写真を見せて頂きました。
過去にあちこちの講演会では、2000人が集まるほど・・・その頃の思い出の写真などもいっぱいあります。
医学博士である九條社長は、日本中に「活性酸素が病気の原因を作っている・・だからその活性酸素を還元するSODの成分が重要だ」と伝えるために講演会を開催されていました。
だからこそ、36年間スーパーグレードのSOD成分にこだわって輸入してきたのです。
土壌によっては、SODをまったく含まないルイボスティーがほとんどです。SODの発見もそのころですから、いくら活性酸素との関係を伝えてもわからない・・・
そんな時代でした。
SOD・・・・・体の中で作られる仕組みがある強力な活性酸素分解酵素です。
スーパー(SO=活性酸素)オキシド ディスム(D=分解)ターゼ(酵素)と言います。
そんな苦労をして日本にやってきたスーパールイボスティーは、どのルイボスよりおいしいと多くの方から、よろこんで頂いています。
そんなたいへんな時期を乗り越えて日本に拡がって来たスーパールイボスティー。もっと 世の中に本当のルイボスティーの良さを伝えて行きたいと思っています。
今の日本の危険な食品や日用品、毎日飲むお茶でしっかりデトックスしてください。
今の日本の子供たちを救える・・・そう思って販売しています。
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