音響免疫療法チェアに座って②

   

音響免疫療法チェア 体験談1を読まれてどうでしたか?(体験談1はコチラ)

多くの音響免疫療法チェアを体験された方のの話を読むと座ってみたくなります。

音響免疫療法チェアとは?

音響免疫療法チェアに座ると 宇宙の共通言語である「音」・・・・・・・つまり人間の生体エネルギーの1000倍以上の磁気エネルギーに触れることになるようです。

それは、その磁気エネルギーに触れたその物体人や動植物)を同じように統一しようとする力が働き、無に戻ろうとするために細胞が反応して体調が良くなっていくとか?不思議なことがいっぱい起きているようです。

*あくまでも個人の感想であり、効果効能をうたうものでは、ありません。

下記は、

NGO音響免疫療法学会会長 西堀貞夫氏が書かれた「ゼロ磁場の奇跡」という本を参考文献としています。

ぜひ、この椅子の体験者の声を生で聞いてみてください。

体験談⑤ 磁気エネルギーが医療の世界に奇跡を起こす

数々の奇跡のような体験談がありますが、音が病気の身体を改善するようすが、色々と見えてきました。たくさんの体験の中で諦めかけていた方にこの音響免疫療法チェアが世の中に広がることを祈ります。

音→振動→磁気エネルギー→全身の血液に広がり、細胞が活性化され、体温が上がり免疫力がアップ。座っているだけでこんな効果があるなんてすばらしい〜〜〜〜。

体験談⑥ 24時間続いていた筋肉の激痛が9パーセント軽減 N・Hさん

2014年12月11日木曜日、この日付は一生忘れることはありません。私が今までに味わったことのない苦しみのスタート日だったからです。私は、かかりつけの内科クリニックでインフルエンザワクチンの予防接種を受けました。

歯科医師で開業医という立場上、毎日多くの患者さんと接するため、症状が表れていない潜伏期間中のインフルエンザ罹患者と接触するかもしれないからです。毎年そのクリニックで予防接種を受けていますが、これまで何の異常もありませんでした。
ところが今回は、3日経っても接種箇所である左腕の痛みが、まったく引かないのです。歯科医ですから痛みの軽減時間や経過状態は熟知していますので、「これはおかしい」と思い、7日後まで様子を見ることにしました。しかし、7日経っても痛みが引くどころか、逆に増していたのです。

そこで、担当医やワクチン製造メーカー、販売している製薬会社などと何度も電話でやり取りを重ね、いろいろな消炎鎮痛剤や抗生物質を試してみました。 それでも一向に改善の兆しは見えず、担当医からは神経内科などの専門医を紹介するとまで言われたのです。それで治るなら良いのですが、それまでの状況から無駄だと悟り、自分で治療法を見つける決心をしました。

その間も、左腕の筋肉の激痛は日に日に増し、痛みで夜も熟睡できません。そればかりか徐々に痛みの範囲が拡大し、関節の可動域も狭くなって着替えに難儀したり、左手の指も少し痺れが出ていました。幸い左腕でしたので仕事には支障がありませんでしたが、左手で物がうまくつかめず、落としてしまうこともありました。「このままでは左手を失ってしまい、歯科医としては終わりだ」と直感した私は、医師でありながら西洋医学的なアプローチを諦め、代替療法を探すことにしたのです。

温熱療法や微量放射線ホルミシス療法、気功療法、呼吸法など、代表的な療法をいくつも試してみましたが、どれも効果はありませんでした。その間も痛みとその範囲は増大していき、さらに追い打ちをかけるように「ギランバレー症候群」の症状が表れはじめたのです。ギランバレー症候群とは、主に筋肉を動かす運動神経が障害され、四肢に力が入らなくなる病気です。

私の場合は、床にしゃがんでいるときや電車の椅子に座っているときなど、起き上がろうとする意思が働いているのに、両足の筋肉に力が入らなくて起き上がれないと いう症状が何度か出ていました。なんとか両腕の筋肉には力が入ったので、手すりや家具に つかまりながら立ち上がり、歩くときもテクニックを見出して何とか移動することができました。

ちょうどその頃、所用で関西方面に行く機会が頻繁にありましたので、湯治とまではいきませんが有馬温泉に行ってみたのです。すると、温泉に浸かっていると左腕の痛みが消えていたのです。温泉の成分とか温度とか、何かが私の痛みに作用したようでした。それ以来、有馬温泉に足をのばすようになりましたが、数日で効果はなくなり、元の激痛に戻っていました。

しかし、この体験から、科学では割り切れない力が働いているように感じて、私なりに考えた末、土地の気とか磁場とかが関係しているのではないかと推測しました。そして、インターネットで「磁場、気………」と検索していたところ、ヒットしたのが音響免疫療法でした。 すぐに体験をさせていただくと、これまでに経験したことがないほど劇的な効果が感じられたのです。

激痛が現れてから半年以上が経っており、24時間連続激痛の我慢が限界点を超え、精神的にもギリギリの状態のときでした。
それから毎日続けているうちに痛みが半減し、激痛からは解放され、睡眠も徐々に深くなっていったのです。
さらに続けていると、左腕の痛みは消えていき、関節の可動域も広がって着替えがラクになりました。

そして、半年後にはギランバレー症候群の症状も出なくなり、痛みは97パーセント軽減しました。まだ100パーセントとは言い切れませんが、あの激痛を思えば、ここまで回復できたことが奇跡であり、残りの3パーセントは時間をかけて治していきたいと思っています。
音響免疫療法と出会えていなかったら、歯科医の仕事はもちろん、私の人生そのものが終わっていたかもしれません。

体験談⑦ 低温火傷で左足膝下より切断の危機を救われたS・Uさん

2012年の師走に、私は電熱ヒーターで足を温めたまま寝てしまい、低温火傷を負いました。私は耳鼻咽喉科ではありますが、50年以上も臨床の現場に身を置く医師です。そこで、自ら低温火傷の治療を実施しました。これによって感染症による患部の重篤な炎症は防げましたが、当時84歳だった私自身の自然治癒力を見誤った結果、1週間後には患部(左足の人差し指、中指)が部分的に壊死したように黒くなってしまったのです。

こうなると自分で治療するのは限界となり、かかりつけ医がいる大学病院を受診しました。すると、「これは酷い。 敗血症を起こす前に、膝から下を切った方がいいですよ」と、医師に告げられたのです。

それでも納得できず、サードオピニオンを求めて知人が理事を務める大学病院を受診しました。けれども、やはり結果は同じでした。こういう切羽詰まった時期に西堀先生と運命的な出会いがあり、音響免疫療法を試すこととなりました。すると、膝下を切断とまでいわれた低温火傷を、なんと5ヵ月ほどで完治させることができたのです。

おかげで現在も、私の足は膝から下がつながっています。今でも毎日6時間以上立ったままで患者さんの耳や鼻を治療しています。医療の臨床現場には、「病気は薬を使って医者に治してもらうもの」と考えている患者さんが多く来院します。そして、たとえ医者自身が「患者さんにこの薬は必要ない」と心の中で思っていても、解熱剤などを使って無理やり発熱などの症状を緩和しないと、患者さんからは「ヤブ医者」と陰で言われて病院は廃れてしまうのです。
ところが、長年患者さんを診てきた私には、「多くの病気は静かに寝ていれば治ってしまう」ことがわかっています。体力が低下した高齢者や、まだ体が出来上がっていない小児は別にして、例えばインフルエンザに感染しても薬を使わずに、通常は1週間から10日くらいで自然に治ってしまうものです。
また、専門の耳鼻科領域でも、めまいや耳鳴りなどは、あれこれ薬を使うより軽い睡眠導入剤を用いて、その場でゆっくり2~3時間眠ってもらえば、ほとんどの人がさっぱりした顔になり症状が劇的に改善します。

さまざまな症状を緩和させて病気を治すには、患者さんに眠ってもらうことが一番なのです。これは、50年以上患者さんから支持を受け、今でも毎日100人ほどの患者さんが来院される当院の秘密の一つです。

私は若い頃、人手不足のために麻酔医も担当しておりました。このときの経験から「寝ている人の健康状態が最も健康である」ことを知りました。これは、患者さんは寝ていれば熱い、痛いなどのつらい症状に煩わされることがないので、体が自分で病気を治す自然治癒力が最も働きやすいということです。
このことは、「病気治療の基本は、患者さんにゆっくり眠ってもらう」という、私独自の治療方針を確立することとなりました。 これは、「医者や薬が患者さんの病気を治しているのではなく、実際には患者さん自身の自然治癒力で病気を治している」という、もう一つの事実を内包しています。

若い頃に医者として、このような考えに至った私は、60歳を過ぎて現在の西洋医学の限界を痛感するような、重篤な病気を経験しました。50歳で糖尿病を発症し、今から20年ほど前の60代半ばまでに眼底出血、腎不全、心筋梗塞に陥りました。 最も致死性が高く重篤な病気が心筋梗塞でした。このときは「このままでは、いつ心臓が止まってもおかしくない。 半年くらいが限界でしょう」といわれた状態だったのです。

当時はまだバイパス手術が始まったばかりで、糖尿病である私はこの手術を受けられませんでした。これが、今まで携わってきた医学に見捨てられた瞬間でした。それから、自分の自然治癒力を回復させ、また促進させる新しい方法を、医学領域の外に見つける努力をするようになったのです。さまざまな方法を試し、中には私に合っているものもいくつか見つかりました。今回の音響免疫療法も同様です。
これらの経験から、自然治癒力を回復させ、促進させる効果の有無を判定する方法がわかってきたのです。効果を実感させる方法に共通していることは、「眠くなること(睡眠導入)」と「温かくなること(体温上昇)」の2つの作用でした。
睡眠導入の作用は、医者としての私の基本的な治療方針と一致しています。眠ってしまえば、体は自分で癒やすことができるということです。体温上昇というのも、生理学的には当たり前のことです。なぜなら、自然治癒力が低下すると、最後には体温が下がってしまうからです。

このように、私の心筋梗塞の経験は、自然治癒力を引き出す作用の有無を判定する基準に気づかせてくれました。さらに、自然治癒力を生命力や生命エネルギーという言葉に置き換えて説明しているさまざまな療法があり、その中には中華医学の気功のように実践的な経験則に根づいた有効な治療法が存在することを知るに至りました。

そんな私が西堀先生と出会ったことは、やはり運命的なものを感じざるを得ません。最初は半信半疑でしたが、藁をもつかもうとしている私にとっては見過ごすわけにはいかず、経験させていただくことにしたのです。
初めて体験したとき、私は寝てしまい、目覚めたときには体温が0.5度上昇していましたので、私の判定基準を十分に満たしていました。しかも、私の経験では体温を0.5度も上げるものは珍しく、大きな効果を期待できると直感的に感じました。西堀先生の話では、体温が1度上昇するのは当たり前、2~3度上がる人が多いとのこと。実際に、35.4度だった私の平均体温が、2週間で38度まで上がっていたのです。

それに伴い、壊死して黒かった指が白く変わり、組織の下から細胞が再生してきたことがわかってきました。
その後も音響免疫療法を続け、 約5ヵ月が経過した頃には完治といえる状態になりました。

*    *    *

まさに奇跡としか言いようがありません。
そのときに気づいたことがありました。 足の指の壊死が再生されるに従って、体温の上昇が変化してきたことです。当初は38度まで上がっていたのが、最後の頃には37.1度で安定し、それ以上は上がることがなかったのです。
この現象を生理学的見地から私見として解釈すると、病気を治して細胞を再生するという大きな自然治癒力が働いているときは、通常の体温より上昇します。 そして、病気が治って大きな自然治癒力をあまり必要としなくなると、通常の状態 (37度程度)まで体温が低下すると考えられたのです。
私の場合、37.1度に下がったとはいっても、もともと35.4度でしたから1・7度も上昇したわけです。 この平均体温の上昇によって、壊死組織の再生や冷えだけではなく、疲労感、夜間頻尿、便秘などの体の不調も改善されました。また、爪の伸び方も確実に早くなりました。
さらに、自分では実感していなかったのですが、周囲の人たちには「髪の毛が増えて、白髪が黒くなっている」といわれました。
また、音響免疫療法は体だけではなく、心にも良い影響を与えてくれるようで、この年になっても私は思考がクリアになり、さまざまなアイデ ア が 湧いてくることを実感しています。このようなことから、認知症にも効果があると考えられます

耳鼻咽喉科の医師としての経験から、背髄に響かせる音が体に及ぼす影響には深く興味を持っています。私にとって音響免疫療法は、 生命の交響曲を聴かせてくれる「生命のオーケストラ」と表現することができます。

私は、音響免疫療法で音楽を聴くようになってから、自分が死ぬことをあまり考えなくなりました。人間ですので確実に死ぬのですが、 今度87歳を迎える私でさえ死が遠のいている感じがするのです。死にたくないわけではなく、飄々と生きているという感じです。

長くなってしまいましたが、この私の経験を多くの方にお伝えしたいという思いから、正直に書かせていただきました。

体験談⑧ 重症の肺気胸が改善してドクターも驚く S・Kさん

私は、右肺が重症の気胸(肺に孔が開いて潰れてしまう) で、その影響が心臓にまで及んでいました。そのため、呼吸が苦しくてあまり動くことができず、体力もかなり落ちていのです。また、体を動かせませんから血液循環も悪くなって手足の先が冷え、疲れやすく、車椅子なしでは移動ができないほど、日常生活に支障が生じていました。

3ヵ月ほど入院して、 何とか肺を3分の1まで膨らませることができましたが、これ以上は体力がないので、手術もできないとドクターに言われ、退院を余儀なくされました。男性の身でありながら、体重は33キロにも落ち込んでいたのです。

それが、西堀先生と出会って音響免疫療法の体験をするようになってからは、呼吸がラクになり、体調が良くなっていることに気付きました。 試しに車椅子から降り、自分の足でゆっくり歩いてみると、それでも呼吸が苦しくならないのです。

もしやと思って検診の日を楽しみに病院へ行くと、CT検査の結果、気胸が閉じていたのです。ドクターも 「あっ、(孔が)ない!」と驚き、「(嬉しくて) 涙が出てきそうだ」と自分のことのように喜んでくれました。ドクターは私のつらさを、私が思っていた以上に理解してくれていたのです。

それから「何かやったの?」と不思議そうに、私の顔を見ていました。

体験談⑨ 夜も眠れない喘息発作が治まった 1・Yさん

持病の喘息が悪化して、夜になると発作に襲われていました。一度発作が出ると、横になっているより起きていた方がラクなので、ソファに腰かけて発作が治まるのをじっと待っています。おかげで睡眠不足の状態で、頭はボーッとするし、体はだるくて何をする気にもなりません。

そんなある晩、いつもよりひどい発作に襲われ、急いで主人に病院へ連れて行ってもらいました。治療を受けて何とか発作は落ち着きましたが、これから先もこの状態が続くと思うと気持ちが滅入ってしまいました。そんな私の様子を見兼ねた主人が、音響免疫療法を勧めてくれたのです。ところが、2時間以上も腰かけて音楽を聴くというのでビックリしました。そんなに長い時間腰かけていたら、お尻が痛くなるでしょうし、体に良くないと感じました。

実際に体験してみると、なんて気持ちが良いのでしょう。 あっという間の2時間半でした。おまけに体がポカポカして、汗がじんわり出てきてビックリです。 ここ数年、 汗をかくことがなかったからです。 「これは良いかもしれない」と直感的に感じました。
その日の夜は久しぶりに熟睡でき、朝もスッキリして体調がとても良かったのです。その後も音響免疫療法を続けていると、これまでに一度も喘息の発作が出ていないのです。

体験談⑩ 薬漬けを止めて体調が良くなり検査結果も良好 H・1さん

私はこれまでに脳梗塞、バセドー病、高血圧などを患い、数種類の薬を服用していました。ですから、ときどき薬で命をつないでいるようにさえ感じていました。それが、音響免疫療法を経験してからは、すべての薬を止めたのです。これは勇気のいることでしたが、脊髄に響く音楽を最初に聴いたとき、何となく自分の体が良くなるような予感がしましたので決断しました。

すると、体験初日から2~3日は、頭がボーッとしていました。しかし、気分は悪くなく、便が大量に出たのです。 便秘症で便秘薬を手放せなかった私にとって、薬を飲まなくてもお通じが良くなったことは驚くべきことでした。また、体中から毒素が出ていくように、鼻水や咳、痰もよく出て、体には痒みが表れました。
そして、食事の量や内容は変えていないのに、体重が減って体が軽くなったのです。私は、カラオケが好きで仲間とよく歌いに行きますが、最近は声が出にくくて困っていました。ところが、しっかりと声が出て歌えるようにもなったのです。
その後、体内の悪いものを出し切れたのか、みるみる体調が良くなり、これまでにない爽快感を味わいました。

そして、かかりつけ医のクリニックで定期検診を受けると、結果は良好。薬を頼らなくても、命をつなぐことができることを実感しました。 薬を止めて本当に良かったです。

体験談11 猫背が治って若返った H・Tさん

いつも妹から「腰が曲がっている。背筋を伸ばして!」と注意をされていました。自分では見えませんから自覚がないだけに、言われると「うるさいヤツだな」とムカムカしていました。ところが、音響免疫療法を体験するようになってから、「背筋が伸びてきれいになりましたね」と友人にいわれてビックリしました。

妹だけではなく、周りの人たちにも私の姿勢の悪さは気になるくらいひどかったようで、そちらのほうがショックでした。つくづく人の目は怖いと感じたものです。その数日後、今度は整体師をしている知人にも「ほーつ、背骨が伸びとる。 例の椅子は効んやなぁ。 昨年、久しぶりにあんたと会ったときは、婆さんになっとっとびっくりしたわ」と笑いながら言われ、またまたショック。

立て続けに姿勢のことを指摘されたことで、さすがに気になって同級生に聞いてみると「少し猫背だと思っていた」というではありませんか。そんなわけで、周りが認めるほどの私の猫背が、音響免疫療法のおかげで矯正されたのです。
考えてみれば、骨盤まで揺らすので、骨が矯正されても不思議ではありません。筋肉は骨についているので、肩凝りや腰痛にも効果があるのだと納得できました。

今は、姿勢が良くなったといわれると素直に喜べますし、先日は「若くなったね。 何かやっているの?」と訊ねられました。
それにしても、姿勢ひとつで見た目がこんなに変わるとは思ってもいませんでした。

体験談12 膝痛で正座ができなかったのが、できるようになった H・Eさん

一昨年の10月、左股関節に違和感を覚え、しだいに両膝裏に痛みが出て正座ができなくなりました。膝がくの字に曲がったままのような感じで、足を伸ばして歩けないのです。 それが少しずつ悪くなってきたので、このままではまったく歩けなくなるのではないかと不安になりました。

そんなとき、叔母から勧められて西堀先生の本を読み、音響免疫療法を続けるようになりました。すると、少しずつ快方に向かい、数分間なら正座ができるようになりました。歩いていても以前のような違和感や、膝が曲がった感じがありません。
また、足のことで頭がいっぱいで気づかなかったのですが、半年ほど前に接触性皮膚炎にかかっていたのが、いつの間にか良くなっていたのです。
他にも、音響免疫療法を続けていると、気づかないうちに不調だった体のどこかが良くなっているのです。 「そういえば最近・・・・・・」という感じで、気になっていたところが、いつの間にか治っていたりするので有り難く思います。

体験談13 落ち着きのなかった息子が静かに机に向かうようになった ・Kさん

息子が幼稚園に通っていた頃、先生から「挙動がおかしい」という指摘を受けました。心配になって小児科に連れて行ったところ、医師からは「多動症」と診断されました「落ち着きがなく、椅子に座っていられない」「人の話が聞けない」などの行動があると言われました。主人と2人でショックを受けましたが、成長すると落ち着くとも聞いていましたので、健康で元気ですし、特別なことはしないで自然に任せていました。
しかし、小学校に入学すると、間もなくして担任の先生からは「特殊クラス」を勧められたのです。そのときは断って、そのまま一般クラスに通わせました。ところが、2学期になってから「大声を出す」 「暴れる」「授業中に席を立って教室の中を
動き回る」などの異常行動が目立つようになり、学校側から再び特殊クラスを強く勧められたのです。

成長すれば自然に治ると聞いていましたが、息子の場合は全然改善されていません。 そればかりか、どんどん悪化しているような気がして不安になりました。そんな私たち夫婦の苦悩を見ていた義母が、友人の伝手を頼って紹介していただいたのが
西堀先生でした。

落ち着きのない子供を、音響免疫療法で大人しくさせておくのは無理だと思いました。けれども、ゼロ磁場のエネルギーは部屋の特定の場所に存在しているので、その場にいるだけでも違うからと言っていただき、思い切って連れて行きました。
すると、最初は部屋の中を歩き回っていたのですが、そのうちに静かになり、自分から椅子に座ったのです。

そして、しばらくすると気持ち良さそうに眠ってしまいました。義母と私は、その様子を不思議な思いで見ていました。
帰宅してからも、多少は動き回っていたものの、奇声を発したり、暴れたりすることはありませんでした。これを見ていた主人が、「良くなっているのでは?」と嬉しそうに言いました。それでまたお訪ねして音響免疫療法をお願いしました。部屋に入るなり息子は、自分から椅子に座ったのです。 「よほど椅子が気に入ったのですね」と西堀先生が笑いながら言ってくださいました。

こうして音響免疫療法を数回受けさせていただくと、息子の多動症が改善されていたので学校でも異常行動は見られなくなり、担任の先生からは「どんな治療を受けたのですか?」と興味津々に訊ねられました。 息子のようなケースは珍しいので、今後の参考にしたいと言われました。

けれども、 音響免疫療法を説明するのは難しいことですので、「特別なことはしていません。自然に良くなったんです」と答えました。こうして落ち着いた息子は、勉強に集中するようになり、3学期の成績が急に上がってクラスでも上位に入りました。この変化に学校側のほうが驚きを隠せず、校長先生からも質問されて困りました。

西堀先生のお話では、子供は変化するのが早いそうなので、息子は良い時期にご縁ができたのだと感謝しております。

 体験談14 いじめが原因で登校できなかった娘が学校に通えるようになった N・Aさん

娘は、中学1年の2学期から、ひどいいじめに遭うようになりました。 担任はもちろん、校長先生に訴えても「いじめはない」と認めませんでした。 それどころか、いじめた張本人たちに「いじめていたのか」と問いただす始末です。生徒たちが、いじめを認めるわけがありません。

おかげで 「先生にチクった」と、ますますいじめはエスカレートしていったのです。 娘は自分の部屋に閉じこもり、学校に行きたがりませんでした。主人も娘の命には、変えられないと言って学校に行かせないことに同意したのです。

こうして不登校になった娘ですが、もともと勉強は嫌いでなかったので、家庭教師にお願いしてもてもらっていました。けれども、これで問題が解決したわけではありません。これからどうしたら良いのか途方に暮れていました。

そんなとき、知人から西堀先生の講演会に誘われ、話を聞いているうちに、娘にも良い影があるかもしれないと思い、先生に相談してみたのです。先生は「大丈夫。娘さんの波動が高まれば、いじめられなくなる」と励ましてくださいました。

このような経緯で娘を連れて行き、お世話になるようになりました。 娘の場合は、健康上に問題はありませんので、音響免疫療法の効果が最初の頃はわかりませんでした。娘に聞いても「気持ちが良いだけ」というだけ。

ところが、しだいに言動がしっかりしてきて、顔つきが変わったような気がしていました。精神的に強くなったというか、大人になったというか、「あんな人たちには負けない」と言うようになったのです。 そして、悔しいから学校に行くとまで言いだしました。

これには私も主人も驚き、また心配でたまりませんでした。でも、娘を信じて翌日に学校に行かせることにしたのです。
娘が教室に入ると、空気が一瞬で変わったのを感じたと、帰宅した娘が言いました。 そして、娘をいじめていた数名の女子は、娘に近づかなくなったというのです。むしろ避けるようになったそうです。
このことを西堀先生にお伝えすると、「娘さんの波動が高まったので、邪気は近づけないのです」とおっしゃったので、なるほどと納得できました。私が思うに、娘はプラスのエネルギーを発し、それがバリアの役目を果たしているのではないでしょうか。それ以来、娘は自信がついたようで積極性も出てきて、成績もぐんぐん上がりました。 すると、クラスメートや先生方の態度も変わったということでした。

体験談15 ビッグバンのようなプラスのパワーを発している T.Mさん

音響免疫療法を受けていると、宇宙体験をしたり、いつも何かしら不思議な体験をもたらしてくれるのでワクワクしています。私は、楳図かずお先生の『漂流教室』の映画のラストシーンが浮かびました。小さな子供が元の世界に戻った、あの光の柱のイメージです。

それで、ふっと気づいたのですが、ゼロ磁場は異次元へのトンネル、玄関ではないかと思うのです。全世界の入り口、この世、あの世、天国、神の国、宇宙…..。 ですから黄泉の国の人々に会えたり、宇宙へも行けてしまうのではないかと。私たちが思っている以上に、西堀先生の開発されたゼロ磁場のパワーは凄いエネルギーです。

たとえるならミサイルのような。とはいっても、ゼロ磁場のパワーはミサイルのようなマイナスではなく、宇宙創成といわれるビッグバンのように大きなプラスのパワーを発するのです。その波動エネルギーは、地球の中心部のコアまでに大穴を開けるどころか、宇宙の中心まで届く強烈な光の柱を発するものです。
西堀先生は、健康のために開発されたのかもしれませんが、元気になるのはオマケの副産物にすぎないと感じています。 皆さんが健康になるのは、本来の姿に戻そうとする作用の一環ではないでしょうか。宇宙や全異次元を統一する波動に触れた、あるいは浸ったとき、その物体(人や動植物)は同じく統一しようとする、もしくは無に戻ろうとする流れ (波動)に取り込まれることによって、音響免疫療法を受けた人の細胞が反応する…・・ ですから体調が良くなり元気になったと感じるのではないでしょうか。

座らずとも、波動に触れた動植物もしかり。したがって単なる健康機器ではないのです。すべてを無にして統一します。 ですから座るとその世界、宇宙や黄泉の国に行くことができるのだと思います。無にする、すべてを統一するということは、宇宙の共通言語である「音」つまり波動がなせる業です。 宇宙は音で溢れています。けれども、その音は人の耳には届いていません。
太古の地球では、人も宇宙からの光を受け、 宇宙の音を浴びることができていました。しかし、現在の地球は環境汚染や人々の欲望、思念の変化など、時代とともにエネルギーがマイナスに作用するようになり、残念ながら受け止めることができなくなりました。
しかし、音響免疫療法は宇宙と同じ音を奏でることができます。 なおかつ宇宙に存在するすべての生命が共鳴する音を発することができると思っています。ですから世界中の人々が体験すれば、プラスのエネルギーが無になり統一され、地球のみ
ならず宇宙さえも変わるのではないかと感じました。

体験談15 あるがままに生きていて良いと教えてくれたAさん

アメージンググレイスの歌が、脊髄を通して私の中に入ってきました。私は何も考えていない状態でしたが、私の中の無限に深い部分から祝福の波動が上がってきて、涙が湧いて止まりませんでした。

次の瞬間、私は宇宙空間にいて、母のお腹に入る前の意識のようでした。私の周りには、1万人くらいの天使が来て囲み、みんなが祝福してくれていることがわかりました。不思議な恍惚感と無限の喜びに包まれたのです。

このとき、あるがままに生きていて良いのだと感じ、温かくて素敵な気持ちになりました。それ以来、アメージンググレイスを聴くと、幸福度が高まり、肌はプルプルになって女性としての生命力が上がり、自分に自信が持てて生きる強さが身につきました。

 

体験談16 杖なしでは歩けなかった私が、歩けるように Hさん

現在70代ですが、脳梗塞が原因で杖なしでは歩けない状態が続いていました。そこで知人の紹介から、音響免疫療法を試したところ、杖なしで歩けるまで回復したのです。体温は36.9度まで上がり、耳もよく聞こえるようになりました。
夫は内科医ですが、 医学ではありえないことだと驚き、感心しています。
私も正直びっくりしていますが、音響免疫療法に出会えたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。

体験談17 胸につかえていた後悔がストンと落ちた T・Kさん

私は、女子大時代の先輩と社会人になってから再会したのがきっかけで、共通の友人も誘って仲良し5人組を結成し、約20年も親交を深めてきました。

ところが、ある年の暮れに、「忙しい時期に申し訳ない」と恐縮しながら、私は先輩に仕事のお願いをしました。
それに対して単なる断りではなく、手厳しい返事がメールで返ってきたのです。読むに堪えない内容が長々と綴られていました。
さすがに私も、今回ばかりは許せませんでした。 親しき仲にも礼儀あり。ここまで言われてまで付き合う必要はないと思い、絶交する決心をしました。そうとは知らない先輩は、まだ気持ちが収まらないのか、今度は携帯電話のメールで、また同じことを送ってきたのです。 私は無視して返信をしませんでした。
一応、礼儀として年賀状は出しましたが、先輩からの年賀状には、また同じことを繰り返すひと言が添えてあったのです。このままお付き合いをしていると、ずっとこのことを言われ続けるでしょう。 やはり絶交するのが最善だと痛感しました。

それ以来、先輩たちからの誘いを断り続け、自然消滅的に縁が切れたのです。 他の仲間からは心配して連絡をもらいましたが、「ちょっとね」と言葉を濁して彼女たちとはメールや賀状だけの交流を続けていました。それから数年が経ったある日、仲間の1人から「先輩が亡くなった」というメールが届いたのです。
先輩が子宮がんになったことは聞いていました。でも、治療がうまくいって元気だと聞いていたのです。また、先輩自身からも突然メールが届いたことが一度だけありました。何事もなかったように、「元気ですか?」で始まり、自分の近況報告が続いて、がんが治ったみたいだとも書いてありました。

久々にランチでもどうかという誘いでしたが、私がなぜ交流を断ったのか、わかっているはずなのに謝りの言葉がなかったので、当時の苦痛がよみがえり、返事を出しませんでした。

今思うと、先輩は大病をして思うことがあったのでしょう。私と直接会って関係を修復したいと思ったのかもしれません。 しかし、そのときの私は、先輩が亡くなるなどとは少しも考えていませんから、無視してしまいました。それ以来、私の中には後ろめたい気持ちが、澱のように胸に沈んでいました。
それで、仲間たちと新盆にはお墓参りに行き、手を合わせて謝りました。でも、胸のつかえは取れませんでした。ところが、西堀先生とご縁ができ、音響免疫療法を体験させていただいたときでした。目を瞑って静かにアメージンググレイスに耳を傾けていると、眩しい光を感じたのです。

そっと目を開けてみると、目の前に先輩が立っていました。

「お墓参りに来てくれてありがとう。長い間、苦しめてごめんなさい。あなたのことは妹のように思っていたので、遠慮がなくなっていたのね。 謝ろうと思いながら、時期を逸してしまったことで、こういう結果を招いたことを後悔していたの。これからは、空からあなたを見守っているから、辛くなったら空を見て。元気をあげるからね」

そう言うと、まるで原子核の周りを回っている電子のように、先輩の周りで回っているいくつもの小さな光とともに消えていきました。

音楽を終わると、胸のつかえが取れて、全身がすっきりしていました。あれは、夢だったのでしょうか。夢だとしても、それで私の心が救われたのは事実です。それ以来、空を見上げるようになり、青空が広がっていると先輩が笑っているようで嬉しくなります。

 - 音響免疫チェア