音響免疫療法チェアに座って①
「病気は、音で治療できる」???
これが本当ならとても素晴らしいことですね。
約2500年も前に古代ギリシャの数学者が「音楽を医療に使うことができる」と確信していたというのだから、それが本当なのか、音響免疫療法の体験実例を見てみることにしました。
西堀氏の開発した音響免疫療法チェアに座るとどうなるのか?多くの体験談を参考にしてみてください。
数々の事例が証明しています。*あくまでも個人の感想であり、効果効能をうたうものでは、ありません。
下記は、NGO音響免疫療法学会会長 西堀貞夫氏の書かれた「ゼロ磁場ならガンも怖くない」を参考文献としています。
体験者の声① 転移性の肝臓がんが快方に向かった(Mさん/女性)
3年前になりますが、病院の検診で肝臓がんが見つかり、医師からステージ4と診断されてしまいました。 そのすこし前に、私は乳がんを発症していて、がんは転移性で今度は肝臓がやられてしまったのです。
約1年にわたる抗がん剤治療を受けると、3センチほどの大きさだった乳がんは1センチまで小さくなり、肝臓がんの方も、あるかどうかわからないまでになりました。ここまでは、抗がん剤治療はうまくいったように思えました。
その後、乳がんの摘出手術を受け、術後は放射線治療も続けて、症状はなんとか落ち着きました。しかし、これで解放されたわけではありませんでした。肝臓がんの方は再発してしまったのです。また新たに抗がん剤の投与と、ホルモン注射による治療が始まりました。肝臓がんはまるでモグラ叩きのように、がんが出ては叩き、出ては叩きの繰り返しだと聞いていましたが、本当にその通りでした。このあたりからかは、たび重なる抗がん剤服用による副作用がひどくなってきました。
身体は一日中ずっとダルくなり、手がしびれて指の皮膚は剥げて、ペットボトルのフタも開けられないほどになってしまいました。 足の方も、いつも突起のついた健康サンダルを履いているような感覚で、長時間立っていられません。私の場合、副作用が手足に集中して表れ、つらい状態が続きました。
そんな思いまでして可能性に賭けているのに、肝臓がんは再発を繰り返し、私は心身ともにボロボロになり、がんと闘う気力さえなくしていました。
そんなどん底に落とされていたとき、私と同じように乳がんで苦しんでいた知人が、エンターテイメント音響免疫療法で体調が良くなったことを教えてくれ、「あなたも試してみてはどうか」と紹介してくれたのです。 ワラをもつかむ思いで、音響免疫療法学会の扉を叩きました。私はこれまでのつらい体験を思い切り学会長に伝えました。
詳しい説明を受けたのち、初めてエンターテイメント音響免疫療法のソファに腰かけると、音楽の細かい振動で次第に身体が温まっていくのを感じることができました。生まれて初めてと言っていい感覚でした。すると、どういうことなのでしょう。
さまざまな感情が一気に噴き出し、わけもなく涙が出てきて止まならいのです。身体が心地よさに包まれただけでなく、心も解放されたようでした。 「これはなおるかもしれない」と、希望の光が見えた一時でした。
これからエンターテイメント音響免疫療法を続けてみようと思ったら、自暴自棄になって担当医に言われるがままにしていた私に「今一度がんと向き合ってみよう」という気力が沸き上がってきたのです。そして、抗がん剤を止める決心がつきました。
抗がん剤は正常な細胞まで破壊するだけでなく、患者から病気と闘う気力まで奪ってしまいます。けれども、エンターテイメント音響免疫療法は、まずマイナスの気をプラスの気に替えてくれます。 そして、自分自身の免疫力で細胞を元気にし、病気を治す治癒力を上げてくれます。
おかげさまで、35度と低体温だった私が、今では36度台を保てるまでになりました。また、数ヶ月に1回の血液検査では、腫瘍マーカーに反応せず、正常値を示しています。この状態には担当医も驚き、「抗がん剤を投与していないのに不思議ですね」と首をかしげていました。ホルモン注射だけは続けていますが、ほとんど副作用はありません。
体調が良いことが実感でき、週2〜3日程度におさえて仕事も今は週に5日、それも8時間のフルタイムで働けるまでに回復したのです。
あれもこれも、エンターテイメント音響免疫療法のおかげだと感謝しています。体温を37度台にもっていくことを目標に、これからもエンターテイメント音響免哀楽を継続して、がん細胞を消滅させたいと思います。こんな積極的な気持ちになれたのは、この治療法が「本物」だと確信できたからでした。
体験者の声② 乳がんの手術を断り、自然治癒力で元気に(MTさん/女性)
2015年、11月初旬のこと。 胸と背中に突然激しい痛みが走りました。 胸を触ってみると違和感があり、何か“しこり”のようなものがあります。 イヤな予感がしました。あせって市立病院で受診すると、画像検査の結果「乳がん」と診断されました。
がんはすでに23×13×20センチの大きさになっており、12月1日に入院、翌2日に手術することに決まりました。痛みでがんと発覚するまでは、特に思い当たる症状もなく、普通に生活できていました。ところが、がん告知を受けた途端に大きなショックの影響でしょうか、すべての免疫力がガクッと低下してしまったみたいなのです。
気の小さい私にはショックが大きすぎて、夜は眠れなくなるし、食欲もなくなって何も食べられず、どんどん痩せていきました。食べられないので体力も落ち、いつもフラフラの状態でマンションの3階から1階に階段で降りることすら辛くなってしまいました。
人と話をするにも声を出すのもやっとで、相手から「えっ?」と何度も聞き返されるばかりに、とうとう人と会うのも億劫になっていました。
今思うと、このときは本当に「死にかけて」いたんだと振り返ることができます。
診断後にすぐに病院に入院してたら、おそらく生きて退院することはできなかったでしょう。そんな茫然自失状態のとき・・・・・・日ごろから親しくしていたSさんから「エンターテイメント音響免疫療法」を何度も勧められたのです。しかし、いくら説明を聞いても意味がわからなかったので、わるいけど聞き流していました。
そうこうするうち、入院が目前に迫ってきました。すると入院直前のある日、Sさんがまた「エンターテイメント音響免疫療法」に私を誘ってきたのです。その場には私の知り合いがもう一人いっしょにいたのですが、その人も「行ってみた方がいい」と勧めてくるのです。
お世話になってきた人だけに断るわけにいかず、「仕方なく」入院の2日前の11月2日、「エンターテイメント音響免疫療法」を初めて体験しました。
体験した感覚は、想像を超えたものでした。映像と音の響きが楽しくて楽しくて、とても気持ちがよかったのです。約2時間ソファに身体をあずけ、終わってみると全身ポカポカと温かく、本当に、人生で初めて味わった感覚。何というか、気持ちいいのと同時に、ワクワク感を得られたのです。
申し遅れましたが、実は、私に勧めてくださったSさんは、「潰瘍性大腸炎」を「エンターテイメント音響免疫療法」で改善させることができた、この療法の「証人」ともいえる体験のもち主でもあったのです。
潰瘍性大腸炎は難病指定の重い病気です。それならば、私の乳がんも良くなる望みがあると思って、本格的に継続して受けることを決心。 手術はギリギリのタイミングで断りました。しかし、担当医が想定しなかった私のこの決断によって、病院との関係はギクシャクすることに。「処置を断った患者をあらためて診察したり、検査をすることはできない。」と言われてしまいました。無理ありません。「治療は受けないけれど、自分の状態は知りたいので、血液検査だけはしてほしい。」 という、わがままな一方的な要望を聞き入れてくれるはずはありません。
ですから、当初の詳しい病状が、自分のことなのにわからないのです。それから約2年が経過しました。現在、私の体調は非常に良くなっています。小さな病院で超音波検査や血液検査を定期的に受けていますが、腫瘍マーカーも他の項目も基準値内に収まっており、担当医からは「優秀ですよ。次からは半年に1回の検診でいいでしょう」と言われたのです。
初診時に約2センチの大きさだった乳ガンの大きさが、半年後には15×20センチになっていました。がんの状態に劇的な変化はありませんが、私は以前とは比べものにならないほど元気になりました。
がんは石灰化しているため、しこりがなくなるのは難しいという話でした。この状態にたどり着くまでにも、身体にいろいろなことが起こりました。 「エンターテイメント音響免疫療法」の効能との具体的な因果関係はわかりませんが、時系列に”変化” を報告します。
受け始めてから1カ月後には、生理痛がなくなったのです。自分ではこんなもの”と思っていたのですが、今思うと私の生理痛は重症だったようです。血の塊が必ず出ていたのですが、その状態が改善され、出ないようになって。
その後、風邪をひいたのですが、発熱が10日間も続きました。 風邪でそこまで熱が出るのは、同様に人生ではじめてでした。2カ月後には、お腹が痛くて食事が摂れなくなることがありました。3カ月後、9歳のころから38年間も続いていた重症の花粉症がなくなっていました。
まだ「花粉症」と要因がはっきり特定されず、「アレルギー性鼻炎」とよんでいたころに発症して以来、つらくて日常生活の大きな妨げになっていた症状が、まったく出なくなって。これは驚愕の出来事でした。
また、私は平成18年に右の卵巣を切除していまして、おそらくその影響で右足に痛みがあり、他にも耳鳴りがずっと続いたり、鼻血が出やすいなど、さまざまな症状に襲われていました。
ところがそれらも、「エンターテイメント音響免疫療法」 を続けているううちに、薄紙を一枚ずつ剥がすように症状が治まっていき、約2年経った今では気になる症状がなくなり、体重も7キロ増えて体力も復活し、もとのように元気に日常生活を送れています。声もしっかり出るようになり、もう会話を億劫に感じることはありません。
・・・・・ここまでお話ししたように、療法を受けている過程でいろいろな症状が噴き出してきたのは、漢方でいう「好転反応」であったと思えます。体内に澱んで溜まっていた毒素が出て、身体が浄化されたしるしだと今は感じています。「エンターテイメント音響免疫療法」を続けていると、がんのことなど忘れて、とにかく楽しんでいました。
眠っているときの夢の内容まで変わって、おもしろい夢ばかり見るようになて気持ちも前向きになって、落ち込むこともほとんどなくなりました。今振り返って思うのは、「エンターテイメント音響免疫療法」によって「感謝する気持ち」をあらためて教えられた、ということ。今日という日「生かしていただいている」ことに感謝。食べ物を食べられることに感謝。多くの人に支えていただいていることに感謝。
死にかけていた身がここまで回復できたことに感謝。・・・・・・もうすべてに感謝の気持ちでいっぱいです。
体験者の声③ 末期がんとは思えないほど元気な父(K・Tさん)
父が末期の大腸がんと診断されました。「肝臓や肺にも転移しているので、余命は半年~1年でしょう」と、担当医に淡々と告げられました。家族にも衝撃が走りましたが、もっともショックを受けたのは他でもない、父本人です。 そんな状況でしたから、父は医師から勧められるがままに抗がん剤治療に従うしかありませんでした。
私たち家族にも「抗がん剤投与を反対する」という選択肢もあったわけですが、そのときは冷静な判断などできませんでした。 抗がん剤治療が進むにつれ、案の定、父は副作用に苦しみだしました。 どんどん痩せていき、体力も気力もガクンガクンと落ちていって….………。
このままでは半年どころか3ヶ月すらもたないように感じて、母と私は別の治療方法を探すことにしました。 わずかな望みをもって。そんなときに友人に紹介されたのが「エンターテイメント音響免疫療法」だったのです。最初に私が事務所を訪ね、西堀先生から説明を聞いても「ゼロ磁場?、 羊水の響き?、しかも音楽を聴いているだけで?」とクエスチョンマークがいっぱい頭に浮かんで理解できたとは言えませんでしたが、藁にもすがる思いで父を連れていきました。
幸い、父は在宅治療だったので、医師に咎められることもなく、音響免疫療法チェアを体験することができました。その、まさに初めての体験をしていたときのことです。 がんの影響で便秘していた父でしたが、体験中にトイレに駆け込み、戻って来るなり「たくさん出た!」とうれしそうに叫んだのです。
すると、「よくあることです」と西堀先生がニコニコしながら教えてくださいました。こうした展開を目の当たりに
して、「イケるかもしれない」と直感し、父に「エンターテイメント音響免疫療法」を続けるように勧め、音響免疫療法チェアを購入して、毎日自宅で音楽を聴かせていました。先生からは、がん臭(がん細胞が壊死する際に発する好転反応のひとつ)の話も教えていただきましたが、父の部屋には本当に変な臭いがこもるようになったので、最初は驚きました。換気をこまめにして、いすで音楽を聴くことを続けていると、抗がん剤治療を続けているにもかかわらず、以前のように副作用で苦しむことがなくました。
免疫力が上がったみたいで、血液検査の結果も改善していたのです。そのうちに、がん臭もしなくなっていました。
「臭くなくなったということは、がんが消えたということ?」と、母とも話しました。父は元気を取り戻し、そのようすを見ていると、本当に治ったような印象を受けたのです。すべては音響免疫療法チェアのおかげなのに、その後、担当医は「思いのほか抗がん剤治療がうまくいった」と思い込み、2クール目の抗がん剤治療を勧めてきました。しかし、余命宣言までされた状態で、抗がん剤が効いたとはとうてい信じられません。
ですから父本人が、抗がん剤治療を断ってしまったのです。担当医師が気分を害したのはすぐわかりました。母は医師に「残りの日々を好きに過ごさせてあげたい」と説明して謝り、なんとか納得してもらいました。それ以来、在宅医療も断って、「エンターテイメント音響免疫療法」だけを続けました。父はどんどん元気になって半年が過ぎました。その間、別のクリニックで定期的に血液検査だけは受けていますが、数値には異常が認められず、腫瘍マーカーも正常の範囲でした。
毎日お通じがあるといいますし、食欲も復活して体力もつき、なんと仲間と山登りにも出かけています。はっきりとMRIで確認したわけではありませんが、これが本当に末期がん患者とはとても思えません。
父も「治ったんじゃないかな〜」なんて他人事のように言っています。
体験者の声 ④ 半身まひが、新たな仕事ができるまでに改善(K・Iさん)
今から約10年前の、33歳のとき。 右足が動かしずらくなり、痛み、痙攣が走るようになってしまいました。 原因は右足首にできていた腫瘍。 それは、手の親指の先ほどの大きさでしたが、医者に腫瘍は「良性」と診断され、すぐに手術で取り除きました。ところが、術後も右足の状態は一向に良くなりません。困惑する私に助けを出してくれるどころか、医者は信じられない言葉を浴びせてきました。 「良性腫瘍を切っても変わらない? そうですか。 あなたの病気はこちらでは治せないので、もう来ないでください」と。ひどい話でしょう。
「何か重い病気」を知らされたわけですが、 「ならば、受け入れてこの状態で生きていくしかないか」とも思ったのです。そういう性格なんですね。傷病手当も、資格が十分に相当する障害者手帳も、悔しいのでもらいませんでした。建設コンサルタントの仕事は右足が不自由なまま続けていました。建設コンサルタントといっても、オフィスで図面を引く立場などではなく、私の仕事は自然環境保護のための、現場に赴いてのフィールドワークがほとんど。
しかも勤務地は札幌でしたので、クルマを使わないわけにはいきません。 痙攣する足でよく運転な
んてしていたな、と思い返されますが…..…..。それから間もなく、まひは容赦なくひどくなりました。右足だけでなく、下半身すべてに感覚がなくなってしまったのです。胃も動かなくなったようで食欲もなくなり、一気に20キロも痩せてしまいました。医者は信用できない、かかりたくないと思いつつ、もうどうしようもなくなったので、自分で調べて、当時札幌にできたばかりの「神経内科」に駆け込んだのです。このときも根性をふりしぼって自分でクルマを走らせて。 病院のロビーまで自力でたどりついたのですが、そこで倒れて動けなくなってしまいました。
病院も慌てて、緊急にMRIを撮ってもらうと、背中の第七胸椎に腫瘍、つまりがんが見つかりました。 平成19年の6月に手術した右足首の腫瘍は良性でしたが、実態は「がんの芽」というべきもので、それが背中に転移していたのです。 おそらく、神経のがん。翌20年2月、背中の腫瘍を再度切除。しかし、腫瘍はまたも陽性だったため、この先、抗がん剤は必要ないと言われ……。 「手術したからすぐには死なない。 でも、他にまひを治す術はわからない」
・・・・・・またしても見放されたわけです。「自殺したい」
地獄の日々。それでも、鍼灸に通ったりしながら、何とか不自由な身体に鞭打って自力で生活するしかありません。
音響免疫療法に出会ったのは、忘れもしない平成27年の7月1日。通っていた鍼灸医院のスタッフの一人が、「代替医療」の第一人者であるK先生と知り合いで、私がK先生に相談にお伺いした際に、西堀先生と「エンターテイメント音響免疫療法」を紹介してくれたのです。私は平成27年に仕事を辞めていて、帰っていた神奈川県川崎の実家から西堀先生の五反田の事務所「NGO音響免疫療法学会」に、杖をつきながらゆっくりゆっくり自分の力で向かいました。
事務所のドアが開けられ中に通されると、「ああ、たどり着くべき場所に来たんだ」と、何とも言えない安心感がこみ上げてきました。その日は、音響免疫療法チェアを6時間近く体験させていただきました。
途中、足を痙攣させながら気持ちよく寝入ってしまいました。私は以前に「気功」を試したこともあるのですが、音響免疫療法チェアの印象は気功と似ていて、それを格段にパワーアップした感覚でしょうか。体験を一通り終了し、全身に温かさを感じながら帰途につくと、わずかですがまひがとれたのを感じ、足も上がるようになっていました。
私は、いすの購入を即決心しました。それから1日に7~8時間ほどいすに座るようにして約2年半、徐々にですが、しかし確実に身体は動きやすくなってきています。さすがに3年前に障害者手帳を取得しましたが、そこに「資格更新手続き不要(治癒の可能性なしの意味)」
と記載があったのには、あらためてショックを受けました。
しかし、改善を実感できる最近は気持ちも前向きになってきていて、今年、平成2年8月、今度は自分で「エンターテイメント音響免疫療法」を導入したヒーリングサロンを開業しました(仕事ができる状態になったということで、年金支給は打ち切られましたが……)。自分の治癒も進めながら、「エンターテイメント音響免疫療法」、「音響免疫療チェア」のパワーをたくさんの人に実感していただき、一人でも多く自分と同じように絶望の淵から救ってあげたい。 私は今、新たな希望をもって生きています。